101218 売るのでなく。

おっきなテーブルを囲んでした話。
経済と趣味の間で。
最初に探り探りで話をしてもらいました。
(K:児島の皆さんの言葉、S:白石島の人の言葉)

K この土地オンリーのものを作る。

S 公民館講座なので営業ベースに乗せるというとこへはいかない。
 お金儲けをしてはいけないが、売ることは構わない。

K 集会所をもっとキレイに片付けをしたり、展示できるようにしてみるだけで違ってくるんじゃないか。

S 島の外に出るのではなく、白石に来てもらいたい。
船にも乗ってもらって、長い時間とお金をかけてやってきてもらいたい、そのために何かできたらと思う。

K そのためには、ある程度の宣伝も必要。
初めての白石島だけど、白石踊しか知らなかった。けど、船を降りて、自然とかすごい島だなと思えた。

K 売るとかそういうことではなくて、「知らしめる」ためにやろうと考えてみる。
ここへ来てもらうための集まり。そのための織り、染めなど。

K 聞いているんだけど、宣伝することが主体ではと思う。
今まで商工会議所とか教育関係で何度も話をしてきたが、どこでもビジネスを主体に経済とは何かを話してきたが、ここで皆さんの話を聞いていたらどうも方向性が違うと。
経済はおいといて、趣味で老後を楽しむというように受け取れる。
私が今まで話をしてきたことは参考にならないのではと思う。
生きていくためにお金はいるんだ。それをどうするということを考えてきた。
年寄りでも孫に小遣いをあげるとか儲けないといけない。
だが、ここでは経済活動はしてはいけないという。
作ってどんだけ儲けようと言うことになるが、作っているものが価値のあるものとして認めてもらえるということを主眼におくといいのではないか。

K 価値のあるものを追求していく。
どうしたらいいものができるのかを考えて活動しているはず。人様の目に触れて認めてもらうことが大事では。
そのためにはこちらから宣伝のような形で出るのも必要。

K お金はいらないんだ、儲けないんだと言われると困る(笑)。
孫にもいる、旦那も失業して年金だけでは困っている、食えない、私はどうしても20万欲しいんだというならわかるんだけど、私はリッチなんだ、ハングリーじゃないんだと言われるとこれは話しにくい(笑)。
食べるものはあるし、豊か。

K 島に来て2、3時間。いいなーと思った。すれ違う人。暖かみ。隣人を大事にし合う。
児島の悪口を言うのではないけど、全然違う。
ここへ来てくれたら見えるもの、感じるもの。土質。

K 児島なんか転んでもただでは起きない。
1円を拾ったらそれを拾うエネルギーは1円以上。だから拾うなという社会で生きている。
その中でいい暮らしをしようとして頑張っている。
だからとても話にくい。お金はいらんのやと言われると。
こっちが教えてもらわないといけない。何でこんなリッチになれるのか。

S もし商業ベースに乗せると思うとどうするか?
島に来てもらいたい。そしたらお金じゃないいろんなものをもらえる。

K 陶芸をされている人、織りもの、それらをうまく展示する。見てもらう。
売るのではなくて、どうしても欲しいと言われたら売ればいい。
まちへ行ってもものは氾濫している。埋没してしまうだけ。
価値のあるものを掘り起こしていく。
この場所のロケーションを変えたらいいと思う。作っているものには全部気持ちが入っている。
当時の小学生が作った版画を見てもいいなと思う。ステージがあるから、そこでどどんと見せたら驚き喜ぶんじゃないか。外国の人はすごく喜ぶだろう。
細いものも広いものも織っている。うまく飾ると全然違う。目の前で織っている。これ以上のものはない。
売るんじゃなくて、非売品にしてしまう。売るとは言わない。そしたら欲しくなる。一つしかない。あなたにだけ売る。高く売る。そしたら公民館には怒られない(笑)。
ロケーションを上手く使えばいい。
おしつけてやろうとすると売れない。
売らないといえばいい。

K 見本だけ置いている。非売品。欲しいというものを作る。手づくりだから歪んでいてもいい。売ろうとしない。

K 材料をよくしていくことが大事。

K あと来てくれた人が宣伝してくれる。
手づくりの場合は、自分のプライドを売る。世界に1つしかない。好みのものを作ればよい。
買って帰った人が連れて来てくれる。女の人1人やると4、5人は連れて来てくれる。

K ほっといたらあかん。宣伝しないと。ソフト面をちゃんと。
孫にも金をやらんといかん。金は多い方がいいと思うよ。そのためにどうしたらいいかを考えないといけない。
船に置いてもらう。桑茶を、織ったものを。

K そうは言っても、ここはリッチだから。


と、話が出た順序で書きました。

ここはリッチだからお金はいらないといわれたら困るというのは、とても面白い入り方でした。あと、売ろうという意識じゃないんだよ、というのも島の皆さん共々、目から鱗。
ソフト面については、いま一緒に活動しているタブララサの役割も大きいとハッパをかけてくれました。
白石の人とここでやるべきことが見えてきた有意義な時間でした。

101218 白石島ツアー

12月18日の白石島ツアー。

この日は児島のジーンズミュージアムの名誉館長さんや水島のタケヤリ帆布の方、児島の染料屋さんなど、岡山で繊維や織りにまつわるプロの方々5名と、まるでその方たちの孫(人によってはひ孫!?)と同じくらいのタブララサメンバーとで白石島へ行きました。


















いつもより船の時間を遅くして11時のフェリーに乗船。
みんなで輪になり、さっそくおじさまたちの独演場、と思いきや、僕たちタブララサがどんな思いで白石島に関わっているのか、僕たちの感じている手織り教室の皆さんの考えはこうなんですというのを聞いてくれました。
そして、やっぱりその場所へ行ってみないと何もわからないから今日は来たんですよと言ってもらえて一安心。



















着いて早々にみゆき食堂でお昼を食べました。
ダイエットをしているので、ご飯はいらないですよと言われる方も、出てきた料理を見て驚きやっぱりご飯をくださいと、席も移動して一人でご飯を食べられてました。
感動の表現がとてもダイレクトで、見ていて気持ちいい!

ご飯の間も話は止まりません。
綿であれなんであれ、その土地に合い、経済効果があるものでないと成長しないのだよという話。
たとえば青森のリンゴや桜島の大根がいいといって、それ以外の土地で作ろうとしても同じものはできない。全然よくない。育たない。
できあがったもの、アイデアを持ってくるのではなくて、種から植えないといけない、植林したのではいけない。

土地に合えば根が張る。だから根付く。
白石島の気候、風土に合った綿もあるはず。
種から出発しないといけないよと、これまで自分たちではあまり考えてこなかったことを教えてくれました。
それから、白石島の土地に向く何かがあるはずで、それはその土地の人が知っているから、島の人に聞いてみるといいよと。



















この日のお昼ご飯。

ご飯:笠岡で作ったもの
うどん:笠岡の細麺(小山製麺
冷や奴:未確認
煮物:みゆきさんの手づくりの野菜
天ぷら(紫芋、
さつまいも、ひょうたん南瓜):みゆきさんの手づくりの野菜
かき揚げ(海老と白身魚):島で穫れたもの

このうどん定食が500円。
うどんの単品を頼んだ方もいたのですが、つくるのは同じだからといっておかずを全部つけてくれました!
すごい!

ごはん、まだありますよー、と言われれば、おにぎりにしてもらって持って帰ろうかなと。
絶好調です。
おまけにみんなひょうたん南瓜の種までいただき、機嫌良く集会所へ向かいました。

ちなみに笠岡のお米やうどん、飾ってあるリースも笠岡のバラで作ったもの。
白石島は島だけど、笠岡とのつながりがあるんだなあというのを感じました。


















集会所へ向かう道中でも、細い路地の移動になるのですが、車が行き交うために止まって待ってあげたりする場面に出くわし、児島でさえそんな人の交流には出会えないと、島のいいところとして心に残ったと言ってました。

集会所へ着くと、手織り教室の皆さんがお出迎え。
さっそく種とり機や糸車や機織り機などを見ながらにぎやかな時間が始まりました。
染めをされてる方もいて、こういう場合はこうしたらいいよというような話で盛り上がっていました。
そして、児島のジーンズの話をしていただこうと、皆でケーキと珈琲と一緒にテーブルを囲みました。

その詳細はこちらを→ 101218 売るのでなく。

島の皆さんにもちょうど知りたかったことを聞けてよかったとか、いいアイデアが出たねとか、あの人たちの話、知的で楽しかったよという感想を別の方から聞いたりと、本当によい時間を持てたなと思いました。

ビデオで撮ったり、ボイスメモで音声を録ったり、皆で話に聞き入ったり、白石公民館の手織り教室の皆さんと会話を楽しんだり、みゆき食堂のうどん定食に感動したりな1日。

みんな岡山で何十年も生活してこられていて、初めて白石島に来た方もいました。
それを思うと、こうしてタブララサのような島の外の人たちが白石島へ関わる意義もあるのだなとあらためて感じました。



101205 KSアカデミーのみなさんと

東京を巡る旅の最後は横浜へ。

2009、2010年と白石島へ来てくださったKSアカデミーの方々と会ってきました。
2009年が2期生、2010年が4期生の方が白石島へ来てくれていて、そこに5期生の方も加わった
会でした。

瀬戸内から遠く離れた横浜で、白石島に来ていただいた皆さんと再会できたのはとても嬉しいことで、瀬戸内へ来てもらうだけではなくて、自分も訪れこうして相互に関わりがあるのがいいなと。
白石島でプロジェクトをしていてよかったなと、島ではない場所で感じることができるのもいいことです。

初めましての方も来てくださいました。
「しんゆり・芸術のまち」の事務局をされている末吉さんと、
「NPO法人KAWASAKIアーツ」の事務局をされている大道さん。

僕と同年代であり、趣味や価値観など共通する部分がとても多くて意気投合。
そうしている間にテーブルも年長・年少で分かれていたような・・(これをいうと怒られますが)

末吉さんは田舎で育ったわけではないけれど、幼少の頃に年に1、2度ほど遊びに行く千葉での体験が今の人生の選択を支えているという話は、これからの自分自身の白石島でのプロジェクトを考えていく上でとても有意義な発見でした。

2期生の加藤さんは、東京都大田区の疎水である「六郷用水の会」の世話役をされるようなったとのこと。そこで、疎水の話をするときにはとても嬉しいことに岡山の西川のことを話してくれるそうです!

僕の方からは白石島の映像を作りたいという願望程度しか報告はできませんでしたが、そうすると、川崎にあるささらプロダクションが制作した「オオカミの護符」(2008年度文化庁映画賞)と「うつし世の静寂に」というドキュメンタリー映画を紹介してくれました。
KSアカデミーは川崎市と専修大学によるコミュニティビジネスに関する公開講座であり、このいずれの映画もその川崎市のことを描いた素晴らしい作品のようです。
これらも合わせて、白石島での映像と共に白石島で上映会なんてできたらいいなと思います。

最後に、KSアカデミーの副学長であり、白石島まで講座生を連れてやって来てくれた神原先生は2011年4月から1年間、イギリス留学し研究をされるそうです。
そこでイギリスに遊びに行く約束をしてこの旅は終わりました。
今度は僕が白石島でどんなことができるのか、です。

101205 タブララサで白石島に関わること

ずいぶんと書くのが遅くなってしまったのだけど、東京を巡った12月の出来事を。
12月4日、東京でタブララサ副理事長の忠澤くん(以下、ちゅうくん)と青山でランチをしながらタブララサのことなどを話してきました。場所は、

YOSHITOMO NARA + graf

忠澤くんはタブララサのスーパーマン。東京で行われた隠岐島・海士町のイベントに参加した際に、KSアカデミーをされている専修大学の神原先生と出会ったのがきっかけで、タブララサとKSアカデミー、そして白石島とのつながりが生まれました。

忠くんが関わっているNPO法人夢職人のことなど多岐にわたる有意義な話になりましたが、ここではタブララサのことを書きます。

NPOは普通は何かしらの社会問題を解決するといったミッションを持って存在しているのに、タブララサにはミッションらしいものがないという話に。
これは僕がいろんな人とタブララサのことを話していても直面している事実。。
で、ちゅうくんが気付いたのは岡山には問題らしい問題がないということ。

タブララサは「岡山の1mmレベルアップ」をテーマとして掲げるようになったけど、これも問題解決というより、まちをより良くするための活動だなと。

納得。

リユース食器の貸し出しでイベントを通じてエコにさりげなく触れるきっかけを作ったり、緑豊かな西川緑道公園という岡山のまちなかのほとりでキャンドルの灯りに包まれて、スローな時間を過ごしたり、その他のタブララサの活動を見ている中で、ちゅうくんが気づき、神原先生も知らせてくれたタブララサの役割は、「プラットフォームとなり、団体と団体、団体と人をつなぐこと」。
そしてミッションと呼ぶのかはわからないけど、たとえばタブララサ単独ではイベントをしないで、絶対に誰かとコラボするというが活動方針じゃないかと(笑)。
ちょっと極端かもしれないけど、心がけとしてはいいんじゃないかと思いました。
あとは、オシャレに楽しくだったり、文化や勉強したりとか知的な部分も持ち合わせないなと。























僕が東京へ行って見たり話したりしたことは、白石島での直接的な活動ではないけれど、でも見聞きしている全てが白石島でどうするか、何ができるか、ということへつながっていきます。
タブララサというNPOに関わり、そこで白石島プロジェクトのリーダーをしている自分が、タブララサのメンバーと島と真反対のような東京であれこれと話す。
タブララサの今後を模索する話は、自ずと白石島での活動へつながっていくし、白石島で見えてきたことが、タブララサの今後へとつながるのでしょう。
もし自分一人でやっていたとすれば、こんな話をできる仲間は周りにいないだろうと思うと、NPOという組織で白石島へ関わる意味が別の方向から見えてくるのだと思います。