101030 続・白石島との関わりの話

10月30日の夜に、新庄村で話したことの続きを。

●白石島から白石をとってただの島として考えてみる
島とどう関わっていくのかについて考えるときに、最近よく思い返すことの1つに、2010年8月6日に直島で開催された瀬戸内国際シンポジウムでのル・クレジオのビデオ講演のことがある。
彼は今回、瀬戸内へ来ることを非常に楽しみにしていたのだけど、直前で本人と家族が体調を崩し、来日できなくなった。
そこでビデオによって語った。

瀬戸内へは一度も来たことがない彼は、そのビデオメッセージの中で、たしか奄美大島へ行ったときの話をしていた。瀬戸内の島ではない島だけど、同じ「島」であるということで、共感できたり、理解できると感じることができたことが一つの発見だった。

いま、縁あって白石島に通い、そこに住む人たちと関わっている。
白石島ってなんだろうと考えるのと同時に、島ってなんだろう、島での暮らしってなんだろうということを思う。
こうしてちょっと一般化した位相から島を考えることで、具体の白石島というものがよく見えたりするのかもしれない。
きっとそうだと思う。

そんな話が一つ。
新庄村での夜にもこの話をしたと思う。


●組織とか関わる人
話の中で、「組織化していくプロセス自体に興味を持ってくれる人もいそうだね」と言ってもらえて、わくわくした。
島の外からいくつかの団体が白石島に関わっていて、その中でもタブララサは一番最後に入ってる。
この年末に、そのいくつかの団体の人たちが集まる機会を設けてみてはと、島の次の世代を担っていく方から言ってもらったという話を聞き、その集まりへの誘いを受けた。
自分たちがどんなことを考え、どんな風に白石島に関わっているのかについて話をすることで、自分たちの位置もわかるし、やるべきこともよりよく見えてくるんじゃないかということで、今から楽しみにしている。

島に限らず村だとか、いわゆる地域活性化といったことが言われていたり、試みられていたりする場所にあることとして、組織とリソースのことがあるように思う。
特に次を担っていったり、現在を支えていく「人材」については避けて通れない。
その人材を補ったり、強化したりするあり方の一つとして、外から白石島に関わっている人たちで一つになるということもあるだろう。


●ただ残すためなのか
あと、自分で話をしていて、ひっかかったところがあった。
その場所に残る大切な伝統なんかを単純に「残すためにする」というと違うなあということ。
目的は残すことではなくて、今の島の生活や、とある人の思いや考えに触れることができ、それを通じて、見聞きした人にとっていいものになるかどうか、そういうことじゃないかなと。
この辺りは個人的な興味になるのかも。


●個人的にしたいこともある
聞き書き、リサーチ、本、ドキュメント、映画とか、白石島で自分自身がしてみたいことがある。
で、今はNPOとして関わっているわけだけど、それはNPOという組織として関わりかたになっているのだろうか?ということを問われた。
一個人の関わりのようにも見えてしまうと。
タブララサのプロジェクトの1つとうたってはいるものの、じゃあどの辺りがNPOとして関わっていく意義なのかというのは、もう一度、というか常に考えておかないといけないことに気付かせてもらった。


●ひとつの形
あと、下働きができる動ける若い人へいくらかの給料を払い、島へ住み仕事をさせるというのも方法の一つかな。
そういう形態をとらずに、外から通い関わることで何かできないかなって思う。
やはり、アイデアはあってもそれの動かし手がいないというのは、島の方の話を聞いていて思ったし、話をしてくれた島の人たちの実感としてもあった。



2010年11月に白石島プロジェクトについて考えていることをざっと書いてみました。
今だにこれといって確立しているものでもないし、つまりはこれから新たな関わり方が生まれるかもしれない。
そんな時期だからこそ、関わり方を一緒に考え、実践していくことに興味がある方がおられたら、一度、一緒に白石島に行ってみましょう。
連絡お待ちしています。

nporasa※yahoo.co.jp (※は@)
金田

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