101204 東京を巡る1

2010年の夏、岡山は犬島で瀬戸内国際芸術祭2010のオープニングを飾った維新派の「台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき」の埼玉公演を見るために12月のはじめに東京へ行ってきました。

夜の公演まで東京の場所と人を巡る。午前は初台にある東京オペラシティへ。













「ドミニク・ペロー 都市というランドスケープ」

ペロー本人による映像は、建築における10とちょっとの概念について語るものであり、個人的には会場に置かれている模型の数々より面白かったです。
建築は人とのディベートというよりは、土地や風景、素材、そして様々な着想やアイデア、歴史との対話なのかなと。
それから事務所員1人1人を数秒間毎に映していく映像も、ペローという人を包むまわりの様子を伝えるもので好感をもてました。

プレスリリースからの引用します。ペローの経歴。

【ドミニク・ペロー略歴】
1953 フランス、クレルモン・フェラン生まれ
1978 エコール・デ・ボザールにて建築の学位取得
1979 国立土木学校にて都市計画の学位取得
1980 社会科学高等研究院にて歴史学修士号を取得
1981 DPA ドミニク・ペロー・アルシテクチュール設立
1989 フランス国立図書館コンペティションにて1等
1998-2001 フランス建築協会[IFA]会長
2010 ヴェネチアビエンナーレ建築展 フランス館キュレーター

建築、土木、歴史を学んでます。
土木と同様に、建築においても「公共」という概念はとても重要であり、土木で学んだことがそこに活かされているのかなと、学生時代に土木工学を専攻した身としては考えてしまいます。本当はその辺を模型を見ながら検証すればよかったのかも。

続いて、













「みえないちから」展

印象に残ったのは、この展覧会の作品ではなく、隣のオープンスペース2010に展示してあった

クワクボリョウタ《10番目の感傷(点・線・面)》

暗闇の中を鉄道模型の列車が走る。その車両にはライトが付いていて、列車の動きに応じてトンネルや駅舎などの物体に当たるライトの影が展示空間を覆う。ミニチュアなのに、その影は自分自身を超えるような大きさになり迫ってくる。
足下にある小さな物体と自分を覆うほどの影。


対照的な二つのものの結びつきは、たとえば都会と田舎、都市と島、のようなものを考えるとき、あるいは、今と50年前、そのもっと前の頃に起こっていたこと、行っていたことが、結びつけばいいのか、取り入れればいいのか、ちょっと気にかけていればいいのか、といったことを考えるヒントになるのかもしれません。
往々にして、アートはまずもって体験をするものだろうけど、そこでは新たな視点や知覚をもたらしたりする。
展示空間では面白いなと感じていたのだけど、あらためて書いてみると、今のようなことを思います。

101207 白石島文化祭2のお知らせ

2010年の締めくくりにNPOハート・アート・おかやまの主催で、
白石島文化祭2が開催されます。























12月23日(木)から26日(日)まで7つの企画で島との出会いを演出する文化祭。

・しらいし文庫
・持ち寄り上映会
・トーク1「風景プラント〜白石島で暮らす〜」
・トーク2「海の道〜つながりの恢復〜」(最後のは"かいふく"と読みます)
・島を巡る「万葉・水軍ツアー」
・私の島のお茶作り
・アートリンク・プロジェクト2010作品展「白石島であそぶ」

を4日間に渡り展開されます。


その中で、12月25日(土)の14時〜15時30分に行われる

トーク1「風景プラント〜白石島で暮らす〜」

に白石島の魅力に取りつかれている人たちの一人として、
わたし金田がタブララサを代表して参加させていただくことになりました。

現在、白石島にはいくつかの団体が外から関わっていますが、
各々がどんなことを考え、何をしているのかを話し合う場はこれまで持たれていませんでした。
そこで、白石島の方の提案で、島の人と島に外から関わる人が一同に介して、話し合ってみようということになり企画されたものです。
それぞれが得意なところを担当し、島の人と外の人が力を合わせて進むことによって、よりよい関係が生まれていくはずであり、その第1歩となるのではないかととても期待しています。


また、26日の午後にあるトーク2には、
こんな方たちが青森、東京、京都などから来島し語られます。
芹沢高志(P3art and environment混浴温泉世界総合ディレクター)
日沼禎子(国際芸術センター青森キュレーター)、たとえばこちら
日沼智之(青森空間実験室)
岡田毅志(京都在住アーティスト)

その前夜25日はいろんな方が島泊されるのでとても楽しいよと、
ハート・アート・おかやまの田野さんが仰られてました。
僕も是非泊まろうと思ってます。

白石島文化祭2の詳しい情報は下記のチラシファイルをご覧ください。

白石島文化祭2チラシ<表>

白石島文化祭2チラシ<裏>


クリスマスの夜を白石島で。
きっと素敵なものになるはずです。

101207 島納めツアー

2010年最後の白石島ツアーを12月18日(土)に行います。

今回は朝は1便遅いゆっくり行程で、
島でも山歩きなしのやさしいツアーですので入門編に最適です。
のんびりと島を歩き、2010年を振り返ってみるのも素敵な時間だと思います。

○開催日 2010年12月18日(土)

○集合  10時40分に三洋汽船船乗り場

○細かい行程(笠岡まで電車の場合)

0947 岡山駅(JR山陽本線、740円)
1029 笠岡駅、笠岡港まで徒歩10分
1050 笠岡港(高速船、1130円)
1112 白石島→散歩、昼食(島の食堂500円)
1330 集会所→綿体験、開龍寺など島歩き
1705 白石島(普通船、650円)
1737 笠岡港、徒歩10分
1750 笠岡駅(JR山陽本線、740円)
1835 岡山駅

○料金
ツアー料(手織り体験代、昼食代、企画料) 1500円
電車代(岡山−笠岡の往復) 1480円
船代(笠岡−白石島の往復) 1780円
※車でも可。無料の駐車場が港そばにあります。

現在、8名程度参加予定です。
2010年最後のタブララサによる白石島ツアーです。
島納めにどうぞ。。
参加希望者の方は連絡をいただければと思います。

○問い合わせ
金田崇男(NPO法人タブララサ、白石島プロジェクト リーダー)
080−3033−8455
nporasa@yahoo.co.jp

101030 続・白石島との関わりの話

10月30日の夜に、新庄村で話したことの続きを。

●白石島から白石をとってただの島として考えてみる
島とどう関わっていくのかについて考えるときに、最近よく思い返すことの1つに、2010年8月6日に直島で開催された瀬戸内国際シンポジウムでのル・クレジオのビデオ講演のことがある。
彼は今回、瀬戸内へ来ることを非常に楽しみにしていたのだけど、直前で本人と家族が体調を崩し、来日できなくなった。
そこでビデオによって語った。

瀬戸内へは一度も来たことがない彼は、そのビデオメッセージの中で、たしか奄美大島へ行ったときの話をしていた。瀬戸内の島ではない島だけど、同じ「島」であるということで、共感できたり、理解できると感じることができたことが一つの発見だった。

いま、縁あって白石島に通い、そこに住む人たちと関わっている。
白石島ってなんだろうと考えるのと同時に、島ってなんだろう、島での暮らしってなんだろうということを思う。
こうしてちょっと一般化した位相から島を考えることで、具体の白石島というものがよく見えたりするのかもしれない。
きっとそうだと思う。

そんな話が一つ。
新庄村での夜にもこの話をしたと思う。


●組織とか関わる人
話の中で、「組織化していくプロセス自体に興味を持ってくれる人もいそうだね」と言ってもらえて、わくわくした。
島の外からいくつかの団体が白石島に関わっていて、その中でもタブララサは一番最後に入ってる。
この年末に、そのいくつかの団体の人たちが集まる機会を設けてみてはと、島の次の世代を担っていく方から言ってもらったという話を聞き、その集まりへの誘いを受けた。
自分たちがどんなことを考え、どんな風に白石島に関わっているのかについて話をすることで、自分たちの位置もわかるし、やるべきこともよりよく見えてくるんじゃないかということで、今から楽しみにしている。

島に限らず村だとか、いわゆる地域活性化といったことが言われていたり、試みられていたりする場所にあることとして、組織とリソースのことがあるように思う。
特に次を担っていったり、現在を支えていく「人材」については避けて通れない。
その人材を補ったり、強化したりするあり方の一つとして、外から白石島に関わっている人たちで一つになるということもあるだろう。


●ただ残すためなのか
あと、自分で話をしていて、ひっかかったところがあった。
その場所に残る大切な伝統なんかを単純に「残すためにする」というと違うなあということ。
目的は残すことではなくて、今の島の生活や、とある人の思いや考えに触れることができ、それを通じて、見聞きした人にとっていいものになるかどうか、そういうことじゃないかなと。
この辺りは個人的な興味になるのかも。


●個人的にしたいこともある
聞き書き、リサーチ、本、ドキュメント、映画とか、白石島で自分自身がしてみたいことがある。
で、今はNPOとして関わっているわけだけど、それはNPOという組織として関わりかたになっているのだろうか?ということを問われた。
一個人の関わりのようにも見えてしまうと。
タブララサのプロジェクトの1つとうたってはいるものの、じゃあどの辺りがNPOとして関わっていく意義なのかというのは、もう一度、というか常に考えておかないといけないことに気付かせてもらった。


●ひとつの形
あと、下働きができる動ける若い人へいくらかの給料を払い、島へ住み仕事をさせるというのも方法の一つかな。
そういう形態をとらずに、外から通い関わることで何かできないかなって思う。
やはり、アイデアはあってもそれの動かし手がいないというのは、島の方の話を聞いていて思ったし、話をしてくれた島の人たちの実感としてもあった。



2010年11月に白石島プロジェクトについて考えていることをざっと書いてみました。
今だにこれといって確立しているものでもないし、つまりはこれから新たな関わり方が生まれるかもしれない。
そんな時期だからこそ、関わり方を一緒に考え、実践していくことに興味がある方がおられたら、一度、一緒に白石島に行ってみましょう。
連絡お待ちしています。

nporasa※yahoo.co.jp (※は@)
金田

101103 種から綿へ


種が芽吹き、花をほころび、それが膨らみ、花びらが姿を現し、黄色に咲く。


花は赤くなって枯れ、綿のつぼみが控える。

やがてつぼみは大きくなり、割れ、綿が顔を見せ、そしてはじける。

摘まれ、枯れるまで。














101103 島遠足、島ガール他編









11月3日(文化の日)、ラサメンバー5人+トノ(SPOxT所属)の6人で白石島へ行ってきました。
かめちゃんは初参加。(左の写真の左から2人目)

もう綿もないかと思っていくと、今年は猛暑で成長が遅かったらしく、まだたくさんの綿がありました。
中には背丈を超えるほどの棉の木が。摘芯の頃に小さかったものが、あとでおっきくなった。大器晩成型。










カメラの先には、










左:コスモスの花飾りの誤用例
右:正しい使い方









RASAを作る。










外で何をしてるのかと気になって出来た手織り教室のリーダー・きみちゃんが、まあかわいい!小さくて、とつぶやいた対象は、5人の若者ではなくて、コスモスの花々のことでした。残念がる島ガール。










この日はみゆきさんが奈良の正倉院展を見に行かれてて、みゆき食堂はお休み。
さんちゃんに電話してもらうもおられず、ご飯を食べれないというピンチに。
回槽店のすなおさんに名案があるらしく電話。
この日は香川県丸亀市から60人ほどのツアーの方々が来られてるということで、
合宿でお世話になった中西屋さんでお弁当を作ってもらえることになりました。
で、それを携え、山歩き。
あまりもので何とか作ってくれたお弁当。
島弁かな?と期待したけど、よくわからなかった。。
それでもおいしいお弁当でした。
ご飯onご飯。










海岸で拾ったウリを担いで山登り。直島のカボチャに対抗して?、白石島はウリとはしゃぐ島ガールと岩ボーイでした。
大人の島遠足と銘打たれたこの日のツアーも無事に終了。
帰りは笠岡ラーメンで締めくくり。
楽しい1日でした。
肝心の糸紡ぎはあまり進まず。
まだ、これからです。



101030 白石島について話す場

ちょうど1週間前に、瀬戸内国際芸術祭めがけて、東京、大阪、京都から友だちがやってきて、僕の生活ということで、普段の仕事やNPOのこと、特に白石島での活動や瀬戸内国際芸術祭のこえび隊でしたことをいろいろ話した。



















そして昨夜は、約1年前に倉敷の旅館御園で行われた、最近だと越後妻有のとんぼで有名な(僕がそれしか知らないだけだけど)田中信太郎さんがBank artで行った螢座のキャラバンで出会った横浜の友だちが、これまた瀬戸内国際芸術祭めがけてやってきたので再会。
瀬戸芸をやってなかったら瀬戸内へ来てなかっただろうと言っていて、その点だけを見ても、瀬戸内国際芸術祭が果たした功績は大きい。



















今夜はといえば、menpeiの"風"のようなお誘いでやってきた岡山県の新庄村で行われた「聞き書き塾」の初日が終わったあとに、menpeiの二人と宝塚から来られたフリーライターの方と四人で、僕がリーダーとしてやっているタブララサの白石島でのプロジェクトについて、あれこれと話させてもらった。
「聞き書き」ならぬ、「聞き聞き」してあげるよとのmenpeiのやさしい言葉に促され、この静かな新庄村でじっくりと。
というわけで、この1週間ほどの間に、濃淡を持った形で白石島との関わりやプロジェクトの方向について考えることになった。

豊島で「藤島八十郎をつくる。」というプロジェクトをされている藤浩志さんのトークイベントinかじこでのお話で出た、外の人間がある場所へ関わるときのその関わり方についての話をもめさんから。
風土、つまり風と土の2つ。
風は種を運んでその土地へ落とし、またどこかへと吹いていく。その人は留まらない。
土はそこへ根ざして生活の拠点を持ち、幹となる。しばし、そこへ留まる。
やはり風土なわけで、そのどちらもやっていけるのがいいのだろう。

それからプレイヤーであるかどうかという話。
今の自分の立場はどちらなのか。結論は出さなかった。
島ということであれば、やはり隠岐の海士町のことは外せないみたいだ。
ライターの方は実際に取材で訪れ、島の本気度の違いを感じたと。

それから今の活動はタブララサの金田くんなのか、一個人としての金田くんなのか、どっちがしているのか。
NPOとして関わる意味は何?という、普段、あまり考えないことも質問してくれた。
それと合わせて、タブララサのNPOとしてミッションは何か?ということも。
普段の島通いではあまり気にしなくていいことも、
こうして話しをする中で、はっきりとさせておかないといけないことがあることもわかった。

現有世代と将来世代の話。
やっぱり仕事がないと生きていけない。
それから、島出身の島外に住む若者との話。あまり言われていないこともある。
と同時に、いいアプローチにつながりそうな予感も。

現在の白石島プロジェクトの有り様としては、
タブララサのメンバーである僕が白石島でやりたいことをやらせてもらうために関わり始めたというのではなくて、どんなことだったら白石島の手織り教室の人たちと(あるいは島そのものと)一緒に何かをできるのか、というスタンスでやっているということ。
それは、例えばモータリゼーションによって衰退してしまった地域、限界集落になってしまった島や村をどうにかしよう目立った具体的な問題を解決するため、ということではなかった思う。
白石島の若者と呼ばれる(65歳だけど)が、若い人たちの目から見て何かできることはないかなあという柔らかい考えをされていて、それで島に入らせてもらったという感じ。

島では、5月には島の大運動会、7月から白石踊、9月は白石の運動会、10月は秋祭り、1月は公民館祭りとみんな仕事以外のことを忙しくしています。
その中で、島の人たちが中心となって、いつもの生活+αをみんながしていかないといけないのかというのは少しクエスチョン。
じゃあタブララサとして何をしていくのか?と振り出しに戻った感はあるのですが、こうして考える時間は大切だなと思いました。



















はっきりしたことは、自分たちが今やっているプロジェクトは、一緒に島に行った人をターゲットにしているということ。
今、あれこれ考えているのは、プロジェクトのターゲットを島に住む人たちへと広げていくのか、というところ。
だから、壁に当たるんだろうな。

理想としては、普段の生活への負荷が急増するようなことはしたくなくて、ほんのちょっとしたことで、生活がよりよくなっていけばいいと思う。
それはタブララサがやろうとしている「岡山の1mmレベルアップ」にも通じること。

年の瀬に、白石の方の一声で行われることになりそうな、白石島へ島外から関わってるいくつかの団体が集まるサミットはとても有意義な場だと言ってもらえた。
八方美人も大切やなあという話も出たりして、良い意味で公私混同した楽しい時間でした。

タブララサの白石島での活動に興味を持ってくれた方は、一度連絡をいただければ嬉しいです。
何か一緒にやれたらいいですね。

101010 ラサ×白石島のポスター

2010年10月10日に行われた422人マラソンリレーでタブララサのブース展示をさせて頂きました。
その展示用に、タブララサの白石島での活動を紹介するポスターを作りました。

こんなの。

























初めてのA1サイズのポスター。


いかがでしょう。
タブララサの「ラサ」は「白」の意。
それと白石島の「白」をモチーフにしました。
見たまんま。。

個人的には気に入ってます。

100919 白石島合宿2日目

合宿2日目。
朝から集会所で綿の収穫です。
青木くんの頭の上には黄色の花が咲いています(左)。
数日で花の色が変わり、綿花のつぼみ(右)になります。
これが綿になる前の状態。










そうして、白い綿ができます(左)。どこにあるのか棉畑を探しながらの収穫。
その後、青木くんはサンタクロースのような白髭をたくわえます(右)。
右にいるイズミンはチャリティーサンタ。の岡山の代表をしており、
サンタの扱いには慣れています。









次に収穫した綿の種を取ります。
ここからはトノの登場です。今年の3月にかいわれの会が主催する
だっぴ2010でタブララサを知ってくれ、白石島へ。
そこで島の空気に触れ、糸紡ぎに邁進中のSPOxTのメンバーで、
今年は世界のCMフェスティバルIN OKAYAMAなども頑張ったキャリアウーマンです。
その人が今度は白石島で活躍中。
ちなみに、イズミンは縁join!SPOxTというFMくらしきのラジオ番組でパーソナリティーもしています。
みんなすごいです。
なにより、その代表をされてる石田さんのパワフルさには脱帽なのですが。。
早く白石島へ来てくださいね。








まず、綿の種を取ります。手づくりの器具を使い、ひたすら回し続けます。
種が取れた綿を右の写真のようなアイテムを使って、繊維のまとまりをほぐします。
白石島ではこの「綿打ち」だけは、島外の手仕事でされているところへ依頼しています。
昔はこうして地道にやっていたようです。

続いて、糸紡ぎ。
実は、この合宿2日目には瀬戸内海放送(KSB)のLOVE!瀬戸内海という番組の
取材に来ていただきました。はるばる高松から。。
岡山・香川で地域に根ざした活動をしている人や団体を紹介する番組で、
光栄にもタブララサを紹介いただけることになりました。
綿打ちのあとの糸車による糸紡ぎは、KSBのスパーキーに挑戦してもらいました、
いくちゃん、しんたくんとスパーキー。
しんたくんはいくちゃんが大好きになりました。









その様子が伺えます。いつも一緒。









そんなお兄ちゃんをよそに、まなちゃんはすやすやと眠っています。
体育館の木のフロアの上にゴザを敷いただけですが。
体に優しい柔らかいところで寝かすのがいいのかもしれないけど、
昔はこれくらいが当たり前だったのかなと思ったり。
もともと体育館なのでとても広い空間で、
そばには一緒に行ったタブララサのメンバーや島の方たちが誰かがいつもいて、
という環境であれば、いつもの生活から少し離れてのんびりできます。
お父さんはいつもまなちゃんと一緒。









そうこうしているうちにお別れの時間。
民宿に荷物を取りにいった馬上ファミリーと港で再会。
しんたくんがいくちゃんに猛アタック。
集会所でも一度お別れをしたのですが、そのときもしんたくんは泣きじゃくってました。
と思いきや、車が出発するとすぐに泣き止み、あれは演技か?との疑惑も生まれました。
そして、このときも、別れを惜しみつつ、フェリーに乗り込みました。
あとで聞いたところ、フェリーに乗ってからずっとおねえちゃんに会いたいと泣いていたそうです。








残ったメンバーで海の家で食事。
英語教師をしているというハンサムなイライジャが、
今夜パーティーするからおいでよと声をかけてくれました。
こういう声かけって優しさを感じます。何より話が面白かった。
なぜか亀仙人の絵が描かれたタンクトップ。

帰りの時間も近づき、民宿へ戻って荷造りをしていると、
いくちゃんのカバンから何やら紙切れが出てきました。









なつきちゃんとしんたくんからの手紙です。
この瞬間に立ち会えてよかったと、合宿をしてよかったなと、この一瞬にすべてが凝縮しているような気持ちに。
このときばかりは残ったメンバーも感動して言葉が出なかった。。









港へ向かっていると、関東からきてくれたイズミンの友だちたちが砂浜で遊んでました。
記念撮影にみんなでジャンプ。
チャリティーサンタの仲間で、連休に合わせて、
イズミンを訊ねて瀬戸内へ来てくれてたところへ、半ば強引に白石島へ連れて来てくれたのです。
何気にイズミンも白石島は初めてだったんだけどね。
他の島も巡ったけど、海の美しさなど白石島が一番よかったとの感想。
島へ訪れるきっかけづくりとして、綿を切り口に活動してきた身としてとても嬉しい。
ありがとう。

最後の最後、しっつが自転車を持ってきていたので、いくちゃんと2人に見送ってもらいました。
2人はこのあと帰ってきたわけだけど、こうしていつものメンバーに見送ってもらうという体験は、これまでの白石島での活動によって、何かを島に残せたんじゃないかと思わせるものでした。
秋からいよいよ活動を深めていかないとと思っています。
合宿の振り返りはまた別の機会に書きます。

白石島の皆さん、参加してくださった皆さん、取材に来てくださったKSBの方々、
どうもありがとうございました。