110611 白石島でキャンドルに向けて




































































































白石公民館まつりでキャンドルの展示をしたのがきっかけで、毎年7月に島で行われている白石踊体験・鑑賞ツアーの際に、島の夜道をキャンドルコーディネートしてもらえませんか?
という話をもらった。

2009年4月から約2年間、島の手織り教室の皆さんと関わってきて、たまたま公民館まつりに持っていったキャンドルを展示させてもらえることになり、そしたら、白石踊会の会長さんがそのキャンドルを見てくれたのがきっかけ。

タブララサではHAPPY SHARE CANDLEという結婚式で使ったキャンドルを蘇らせて幸せのおすそわけをしています、という話は何度か島でしていたのだけど、じゃあ僕らから島でキャンドルやりましょうというアプローチをしたわけではないのに、こうした展開になったのが嬉しかった。

いつも思うのは、自分、というかラサが関わるときに、その関わる人たち、この場合は白石島だけど、と対等でありたいということ。
それまでの綿を通じた島との関わりがこうして新たなステージに広がったことは、ひとつの理想形なのかなと思う。

そんなわけで、あらためて会場となる浜辺から港までの道を歩きに島に行きました。

110312 リース作り


























































































































































































made in shiraishi-islandのリースを作りにいきました。
全部、島で採れたものたち。

110131 H23、何をするか。

福武教育文化振興財団のH23助成金申請書の一部を掲載します。
なかなか語ることのできない、白石島で何をしようとしているのかを、何とか言葉にしてみようとしたものです。

○期待する効果・成果
2009年4月から白石島に通い始め、「農薬を使わない綿づくりと手織りによる布づくり」を白石公民館の手織り教室の皆さん と行い、白石踊など島の伝統を大切にする島民の姿に触れながら関わった。そして綿づくりと人間関係が生まれる様子を綴った20ページの冊子を作った。
2010 年は継続した綿作りに加え、山歩きやシーカヤックなど島のその他の魅力的なものを取り入れたツアーの実施とそのドキュメント映像作りを行っている。
タ ブララサが白石島へ関わる理由は、島を訪れた人が島の人や暮らし、空気を体感することで、訪れた人のライフスタイルを顧みるきっかけになるものが白石島に は数多くあると考えるからである。白石島への「人の流れ」をデザインし、島を知り、考え、島に触れる人を増やすためのきっかけ作りを続けることで、白石島 とそこを訪れた人との双方の生活にゆっくりとした変化をもたらすことができると考える。


○どう関わるか
これまで2年間白 石島に通い、40回以上島に渡った。白石公民館の手織り教室の人たちとの関係が生まれた。種まきなど綿づくりの作業を手伝うことや、糸紡ぎ、手織りなどを 教えてもらうことを通じて、島に少ない若者との交流の機会が生まれた。白石島の人たちとこうした関係ができたのは、白石踊や秋祭りなど、島の人が大切にし ている四季の行事にも訪れたことが重要だったと考える。

○1年目のこと
1 年目は1.手織り教室の人たち、2.タブララサ、3.一緒に島を訪れた人たち、という三者が関わった。その中で、綿が種から布になるまでと、タブララサと 手織り教室の人たちの関係性の変化を綴った白石島の冊子を作ったこと、それから東京や大阪などから30人以上が集まって合宿をしたこと、それがツアーへと 発展したことなど、島おこしの“きっかけ”をつくる方向性を見いだせた。

○2年目のこと
2年目を迎えると、4.白石島のその他の 人たち、例えば桑に取り組んでいる人や民宿の人、それから5.白石島に外から関わる他の人たちにも知られ、タブララサという島の外からやってきた団体が島 に関係する人たちに認知されだした。また、タブララサを通じたテレビ取材もあり、より一層知られるようになってきた。

○変化
その 中で起こった最も大きな変化は、白石島が大切に守り続けている白石踊とのコラボレーションの話を島の人たちからもらったことである。島では年に2回白石踊 が行われる。1度目は7月下旬の環境客向けの白石踊ツアーであり、2度目は8月のお盆に行うものである。いずれも多くの人々が踊を見に島を訪れるが、その 際に船が着く港から踊が行われる浜辺までの道が暗くて困っていたという。そこで、その道をタブララサがコーディネートし、キャンドルで照らしてもらえば、 島でキャンドルというのを目当てにでも来てくる人が増えるだろうという提案であった。

○タブララサ的
このように、島にとって必要 とされる形で島との新たな関わりが生まれるというのは、タブララサの目指す形である。それに加え、その日に灯すキャンドルはすべてリサイクルによるもの で、しかも島の人たちと一緒に作ることで、その土地とつながったイベントになるだろう。

○島に来てもらう
ツアーに行ったある日、 手織り教室のある方がこんなことを話された。

「私たちはお金と長い時間をかけて白石に来てくださる方たちのために何ができるかを考えた い」

オーガニックで作っている綿を活かし、新しい製品を作ってそれを売るということを考える前に、いまやっているものの価値をきちんと見 て、知ってもらうことをやってみませんか、という話に、島の人たちも耳を傾けてくれた。

○島を知り、考え、そして訪れる
一緒に島 を訪れ畑仕事などの作業を通じた島の人との交流と島の季節を楽しむツアーのような形態を考えるその以前に、まずは島を知ってもらうことが大切だ。ツアーを 通じて島で1日過ごすと、多くの人が自分なりに何かに気付き帰っていく。そのツアーの度に、島には私たちの「生活」を振り返る気づきがたくさんあることを 教えられる。そのためにも、島に行く以前の部分をどう見せるか、知ってもらうかが重要で、それはタブララサの役割だと考える。
そこで、島に関心を 持ってもらうためのきっかけづくりとして、島の生活や人をテーマとした本と映像を作っていきたい。そして、本や映像作り自体も様々な参加者を集い、島の人 たちと共に島を舞台にした活動を行っていく。


○添付資料

110123 白石公民館まつり
































































もう10ヶ月も前のことになりますが、2011年1月の白石公民館まつりの話です。

・今はおやすみをされている「みゆき食堂」さん、「き」の文字が実際の「木」に置き換わってるっていう。

・島に着いて早々に、白石島迴漕店の直さんが面白い話をしてくれた。聞いてるのは、大阪から来てくれた大橋くん。西川キャンドルナイト2011のフライヤーデザインなどをしてくれた建築設計をしてる友だち。

・白石公民館まつりに、タブララサのHAPPY SHARE CANDLEを展示させてもらいました。
これが今年の7月の白石島でのキャンドルコーディネートにつながりました。

・島の方がキャンドルを完売してくれたました。思いもよらぬ展開。

・会場を後にして、島歩きに向かってると、おーいと島の方が追いかけてきてくれて、島で採れたはっさくをくれました。

・綿畑はこんな感じ。

・会場の片付けは、展示をした人たちが自分の責任で片付けます。展示してる人はほとんど女性なので、片付けも女性が頑張ってます。去年は、ただ女性が頑張る島なんだなあと思ったけれど、実は違ったのだと。

・集会所の中。

・白石島の冊子に載っていたあのきんかんがほしい、と言われたので話をしたら、きんかんをくれた。

・はっさくを置いてみたり。

・はい、ポーズ。

・瀬戸内海を望む。

・冬の椿。

・帰り道、薪を作ってる少年がいた。

といった具合でした。
この日は、白石島の冊子のデザインをしてくれ、折りをみて白石島プロジェクトのことを相談していた大橋くんが初めて白石島に来てくれた。
数々の印象の残る話をしてくれたのだけど、すっかり忘れてしまった。
ただ、それらのうちの一部については、2011年9月に制作した「白石島と島を巡って」という小冊子(zine)にまとめたので、そちらを見てもらいたいし、また、撮影した映像は何らかの映像作品にまとめようと思っています。

101226 直さんとアートコンストラクターの話

みゆき食堂でご飯を食べた後、迴槽店で、そういえば、とこちらの長男である直(すなお)さんが、前日のトークの中で話したことを振り返ってくれた。

僕が話した、こんなところがあるよ、だけではなかなか行きにくくて、ツアーにして一緒に行っていろいろ段取りをしてあげることで島に来てくれるという話のことに触れてくれた。

綿の作業+島の何か。
季節の行事、習わし、出来事。シーカヤックや山菜採りや紅葉狩りや。

それから、四国に外国人がたくさん来るところがあるって言うてたやん、ということになり、それはつまり徳島の神山のことなんだけど、そんなんエイミーに取材に行かせばいいやんということで、あっさりと話が進んだ。

言ってみるもんだなと思うのと、ちゃんと言わないといけないなという思いと。
そういう情報はとりあえず放りこんでよと優しく注意してくれた。

ツアーはCDMジャパンの臼井さんがやろうとしているから連携してみれば、とのこと。
前日に伺った迴漕店による農業の取り組みについて話す中で、昼食をしながら教えてもらった、漬物は比較的に自由にやりやすいという話をすると、実は海の中の細菌と漬物が反応してよくないということを教えてくれた。

すっかり忘れてしまっていた話なんだけど、

中道を歩くと驚くほど風が少ない。

あとは、青森から来られた日沼さんご夫婦。
旦那さんの智之さんは現代美術家の川俣正さんと共に活動されている建築家。
この人の瀬戸内評はこうだった。

カスタマイズされた風景、わかりやすい文化だということ。

たとえば白石島の対岸に見える福山の工業地帯、北木島の石切り場、漁船。
こうした目に見えるものが、この土地にいた人の生活を支えるものだったというのがとてもわかりやすいのだと。

一緒にお風呂に入って、お風呂やら東京インプログレス−隅田川からの眺めの話。
アートコンストラクターという概念はとても興味深い。
川俣さんが作るものって、土木的なものが多いというのもあるのかな。
あるいは自分の興味がそこからか。

ちなみに、瀬戸内国際芸術祭2010の会期が終わってから参加したこえび隊の活動に、川俣さんの向島プロジェクトがあります。

島つながりとしてまとめようとしているのかはさておき、僕は一貫して、川俣さんの活動に関心があるのだなとあらためて思いました。

101226 綿とみゆき食堂の話









左:この日の定食
右:島でとれた天然ひじき









左:ひょうたんかぼちゃ
右:島のかき揚げはいつもおいしい海老が入ってる




















翌日のお昼、みゆき食堂での話。
綿をご自身で作られていて、白石でどんな事をしているのか興味を持ってくれた方が来てくれました。
ちょうど、息子さんを白石島文化祭2の鞆の浦を巡る船のツアーに参加される予定だったので。

こちらもメモ書きになってしまうのですが、

・綿は交配しない。

・織るというのはハードルが高い。

・編むのがいいのでは。モチーフを作る。

・原料でやるのはまったく割に合わない。

・作家の人でも時給750円換算でやっているが、手紡ぎとなるとダメ。時間がかかりすぎる。

・最近、綿の価格が上がっている。不安定に。

といった、綿の動向を教えてもらいました。たしかに織ることは難しいし、割に合わない。だからといって、綿との関わりがそれで終わるのかといえばそうではなくて、綿から着るものへとつながる一連のものとして捉え、「衣」に触れるにはどうするのがよいか?という考えを持たれていたように感じ、とても興味深い話ができました。


次はみゆき食堂の話。

この日の献立は、白ご飯、うどん、冷ややっこ、おから、島で採れた天然ひじき、島で採れたえびと白身を混ぜたかきあげ3つ、紫芋・ひょうたん南瓜・さつまいもの天ぷら(全部みゆきさんが育てたもの)、エンドウ豆(島の方にもらったもの)、島のみかん。これで500円。

お米とうどんは笠岡産。これをみゆきさんは「趣味」と思ってやってる。ボケ防止ですよと。

ボケ防止という言葉も、ピンとこない、まあそんなことはほんとは思ってなくて自然に。

自分で作って残ったものを出しているからね、と付け加えていた。

お店を始めたのは平成元年。それまで近所に食堂があったけど、都合でお店をやめられた。それでは島に工事に来る人とかがお昼ご飯に困るだろうからということで食堂を始めた。

この日も電話をすると、開龍寺という島のお寺掃除に行き、その帰りに自分の畑に寄って野菜をいろいろと収穫して帰ってきたところ。

まだ準備も何もできてないから30分後に来てと。


そんな話をしたのでした。
今は臨時でお休みが続いてるのだけど、またいつか食べたい本当に素敵なお店です。